「あれ以上の感動を与えるのは無理」山本和範が奇跡の一発で引退を決意 (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • photo by Kyodo News

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 しかし、近鉄も意地を見せる。8回表に藤井彰人の三塁打から高嶋徹の犠飛で同点に。試合は4対4のまま9回表に入った。

 ダイエーは、この年リリーフながら、この時点で14勝0敗という驚異的な成績を残していた篠原貴行がマウンドに立っていた。

 篠原が打者ふたりを打ち取り、二死走者なし。打席に向かったのは、球界最年長(当時)の41歳、山本和範だった。

 この日、6番・指名打者でスタメン起用された山本だったが、これがシーズン初出場。これだけのベテランがこの時期まで一軍にお呼びがかからなかったということは、つまり来季構想から外れているということだ。近鉄はいわゆる"花道"のつもりで、山本を先発出場させたのだった。

 だが、山本の考えは違った。引退するなど、まったく考えていなかったのだ。

 不屈の男──それが山本の代名詞だった。

 1957年生まれ、福岡県出身の山本は戸畑商から1976年ドラフト5位で近鉄に入団。もともとは投手だったが、すぐに"クビ"になり外野手に転向。4年目でようやく一軍初出場を果たすも、6年目のオフに戦力外通告を受けた。

 野球をあきらめて郷里に戻ろうとも思ったが、同期のドラフト1位で同郷の久保康生(現・ソフトバンク二軍投手コーチ)に紹介されたバッティングセンターで働きながら打撃を磨いた。

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