今永昇太が明かす山﨑康晃の素顔「TPOに合わせていろんな顔がある」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 細野晋司●写真 photo by Hosono Shinji

── おふたりが初めて、お互いをピッチャーとして意識したのは大学に入ってからですか。

山﨑 昇太が駒大に入ってきて......1年生の時にもう先発してたよな。

今永 デビューは中継ぎでした。

山﨑 駒澤の1年にいい選手がいるという話は聞こえてきました。ウチ(亜大)の(生田勉)監督も昇太には目をつけていて、「彼は伸びたら化けるぞ」って警戒する、そんな存在でしたね。2年になって春から主力で投げるようになって、当たり前のように勝ち始めたんだよな。僕も4年の秋、昇太が3年のときに東都で優勝を逃して......。

── 亜大の7連覇を阻止したのが駒大でした。今永投手は大学3年の春に3試合連続完封、その秋には駒大を26シーズンぶりの優勝へ導いて、MVP、最優秀投手、ベストナインを獲得しました。

山﨑 あの時の昇太、カーブもすごかったけど、ストレートが吹き上がる感じでホップするんです。野手に聞いても、バントするとフライになっちゃうって......もう、お手上げでした。ウチはコツコツ、一個ずつ塁を進めるチームだったんで、昇太にはずいぶん苦労させられましたね。

── 今永投手は亜大の山﨑投手をどんなふうにご覧になっていたんですか。

今永 僕は大学の時の中継ぎと先発のヤスさんは、違うピッチャーかよ、と思っていました。先発の時は真っすぐも130キロ台で、力をセーブしながら試合をつくっていくんですけど、リリーフで出てくると150キロを連発するんです。ヤスさんの場合は亜細亜ボール(亜大出身の東浜巨、藪田和樹、九里亜蓮、山﨑らが投げる沈むボールで、シンカーともツーシームとも言われている)がすごいって言われるんですけど、僕はリリーフで出てきた時の真っすぐが一番、すごいと思っていました。

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