山本昌の話に漫画家・二宮裕次が驚き「スクリューは遊びで教わった」 (2ページ目)

  • 菊地高弘●構成 text by Kikuchi Takahiro
  • 松田崇範●写真 photo by Matsuda Takanori

山本昌 でも、僕は中学で野球をやめるつもりだったんです。中学校の三者面談でも「将来は大学へ行って、学校の先生になりたい」と言っていましたから。地元の県立高校に進学していたら、本格的な野球はやっていなかったんじゃないかなぁ。

二宮 それが、どうして変わったのでしょうか?

山本昌 中学3年の最後の大会を前にエースの子がケガをして、僕が投げることになったんです。でも、先ほど言ったような準備をしていたのがよかったのか、地区予選をポンポンと勝って、県大会に出られた。その活躍が認められて、スポーツ推薦で日大藤沢に進学できたんです。

二宮 すごい、劇的ですね。それから高校でスカウトに認められて、プロに入るわけですね。

山本昌 それが、スカウトはひとりも来なかったんです。

二宮 それでどうやってプロ入りできたのですか?

山本昌 これも僕はツイていたんです。3年最後の夏の大会で負けるまでスカウトは来なかったんですけど、その後に神奈川県選抜が編成されて日韓親善試合があったんです。そこで本来選ばれるはずだった選手が甲子園で活躍して、高校日本代表に入った。その繰り上げで僕が選出されて、韓国戦で投げてスカウトの目に留まったんです。僕の人生はいつも、頑張っていたらご褒美をもらえるようにできているんです。プロも50歳までやらせてもらえたのはご褒美だったと思っています。

二宮 そうなんですね。昌さんはよく走っていたということですが、ほかに幼少期にやっていた練習メニューはありますか?

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