まさか!のロス五輪韓国戦に先発。吉田幸夫が一世一代の投球を見せた (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 アンダースローで投げるようになったのは高校3年生になる前です。高校2年の秋、延長18回を投げて疲労骨折をしたあと、しばらく投げられずにいたんですけど、ようやく治ったと思ったら、当時の監督が「よし、今日からお前は下から投げてみろ」と言うんです。「上から投げてダメだったんだから、今度は下から投げるしかないだろ」と......じつは私の高校の先輩に阪神タイガース、南海ホークスでプレーしていたアンダースローの上田次朗さんという方がいましてね。ちょうどその頃、阪神で活躍されていたので、監督にはそのイメージもあったのかもしれません。

 ただ、私にはその投げ方が合っていたようなんです。アンダースローで投げるようになってからは一度も故障したことがありません。晩年、右ヒジはくの字に曲がってしまいましたけど、それは投げる時には何の影響もなかったので、気になりませんでした。上田さんのほかに、阪急ブレーブスの山田久志さんの(ピッチングフォームの)分解写真を見たりしながら、見よう見まねで自分なりのアンダースローのフォームをつくっていきました。

 ロサンゼルス五輪、予選リーグ、韓国との初戦。先発した吉田は好投を続けた。日本が4回表に犠牲フライで奪った1点を、吉田は6回まで守り続ける。7回表、ワンアウト一、三塁のピンチで左腕の宮本に交代するまで、吉田は韓国打線をわずか1安打に封じ込めたのだ。

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