和田毅が今もマウンドに上がる理由。復活の支えとなった松坂大輔の姿 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Koike Yoshihiro

 甲子園で強烈な光を放った松坂大輔が引き寄せた"松坂世代"----なかでも、もっとも飛躍的な成長を遂げたのが和田だった。松坂とともに3年夏の甲子園に出場し、ベスト8に残った和田。松坂と対戦することはなかったが、じつは松坂にとってはライバルというほどの存在でもなかった。春夏連覇を目指していた横浜高校のエースにとって、島根県の浜田高校など、気に留めるような存在ではなかったのだ。

 まして線の細い左腕エースが投げるボールは、ストレートが130キロにも満たない。いったい誰がこのとき、和田がプロに行くと想像しただろう。甲子園にたまに現れるコントロールのいい左ピッチャーは、松坂にとってはプロとは無縁の世界で野球を続けるであろう存在でしかなかった。

 しかし、和田は松坂を脅かす存在にまで成長した。松坂にしてみれば、思わぬライバルの出現だった。和田は早大のエースとして江川卓が持っていた東京六大学の奪三振記録を塗り替え、通算476奪三振を記録した。スピードガンが弾き出す数字は140キロでもキレがあり、バッターからすればこれほど手こずるボールはなかった。150キロを超え、相手のバットを押し込むほどの力を持っていた当時の松坂のストレートを持ってしても空振りを取るのは容易ではなかったのに、和田はプロの世界でもストレートで空振りを取り続けた。和田が以前、こう話していたことがある。

「大輔のボールはロケットです。ビューン、ドーンって感じ。僕のは、弓かな。シュパッという感じ。ドーンって感じがないんです。だから理想はシュパッといって、ドーンといくボール。何球か、投げたこと、あるんですよ。でも、どうやって投げたらそうなるのか、投げ方がわからんのです(苦笑)」

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