2020.03.02

FA宣言第1号の松永浩美が語る
「球界の寝業師」根本陸夫との点と線

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

 90年12月、選手会では、役員総会においてFA制度の導入を目指すことを確認。翌91年3月には日本プロ野球機構と選手会との団体交渉が開催された。提唱者の松永はFA制度に向けての改革委員長に任命され、副委員長の西武・秋山幸二、ヤクルト・広沢克己(現・広澤克実)とともに交渉に臨んだ。

 もっとも、機構側は当初から対案を出すなどして選手会の要求をかわし続け、91年11月の事務折衝ではついに「FAは認めない」と返答。最終的にはFAとはまったく関係のない新案を提示してきた。これに怒った選手会は同年12月、全組合員の参加を義務付けた臨時大会において、FA制度の導入に向けて「ストライキも辞さず」との強硬姿勢を打ち出した。

 年が明けて92年1月。選手会と機構側との話し合いで急速な歩み寄りが見られ、2月には機構側で第三者委員を選定し、FA問題等専門研究委員会が発足。FA制度の具体案作りが始まり、球界は制度導入へ向けて進み出した。

 改革委員長の松永も手応えを感じていた。だが、シーズンオフの同年12月、自身に思わぬ変化が起きて、投手・野田浩司との交換で阪神にトレードされたのだった。阪急・オリックスを通じて実働12年間で打率3割が5回、ベストナイン4回、ゴールデン・グラブ賞3回、盗塁王に最高出塁率のタイトルも獲ったチームの大黒柱の放出は周囲を驚かせた。