大矢明彦が明かす内野陣コンバートの真相「石井琢朗を売り出したかった」 (6ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Jiji Photo

 大矢は当然ながら、キャッチャーの育成についての思いが強い、同時にそれが軽視されることに忸怩たる思いがある。

「残念ながら、今はキャッチャーを大事にする野球じゃなくなっちゃっているんですよね。シーズンが終わって考えて、ベストナインのキャッチャーは誰なんだろう、ゴールデングラブは誰なんだろうって、考えたときにやっぱり、それぞれのチームの先発キャッチャーの出場試合数が少ないんです。

 今はピッチャー優先の時代で、キャッチャーはそれこそ打つか肩がよければ誰でもいいなという時代になってしまっているので、それがやはり残念です。一球の意味をどう考えているのか。きわどいコースを突くのも空振りを取ろうと思って投げさせているのか、1球捨てようと思って投げさせているのかで、また意味合いが違ってくる。そういうことを常に意識の中に置いているキャッチャーが今は少ない。

 シゲなんかは、日本シリーズの時だったか、『大矢さん、あのバッターどうやって攻めたら良かったですかね』とかって言って来ましたよ。それだけ意欲があるということですよね。正解がないリードに対して、できるだけ正解を出そうとする」

 礎について話を戻そう。1998年に甲子園で横浜ベイスターズが優勝を決めたとき、ちょうど大矢はニッポン放送で解説をしていた。胴上げの瞬間、何人かの選手が不自然にスタンドの方を向いて帽子を振っていた。ファンに向かっているのだろうか?と思った大矢は真意がわかってハッとした。選手たちはラジオの中継ブースにいる自分に向かって感謝を捧げていたのだった。

「それがとってもうれしかったですね。『ああ、(監督を)やっててよかった』と。2年で終わって、自分が監督のときは優勝できませんでしたけど、同じチームであれだけ頑張ってくれた選手たちが優勝したので、それが本当に誇らしかったのです」

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