大矢明彦が佐々木&谷繁バッテリー誕生秘話を告白「シゲを使っていいか」 (6ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

 本人ではなく、意識的にメディアに発信することで、谷繁の潜在能力の高さを周囲に意識づけしていった。

「僕は、メディアがどうすればシゲを正当に見てくれるかを考えて常に発信してきました。そうでなければ、一度下された評価は覆りません。それは僕の解説者時代の経験からですね。評価が上がり、その結果、キャッチャーとしてやっていく野球に対するものの考え方が変わってきてくれたんだと思います。

 キャッチャーはサインを出すのもある意味賭けじゃないですか。ただバクチを打つにしてもその前にどういうふうに自分で配球を持っていったらいいのかというプロセスの考え方をシゲには覚えてもらおうとしました。日常生活の中でも、この人は何を感じて話しているのかとか、こう言ったらどういう返事が返ってくるのかとか、常に観察と予想をしてみようと。

 例えば車で走っていても『お前、自分の家から球場まで車で運転してくる時に、ここの信号で引っかかったら、どのぐらい(時間を)ロスする?』、『この信号引っかかったら、次も赤なんじゃないか? じゃあ、ここで手前を左に曲がって行っちゃったほうが後の信号に引っかからないんじゃないか』とか。

 常日頃、一般生活の中でも考え、感じるだけでも、自分の頭の中が動くわけです。それが習慣づけば試合でも『バッターがこんな形でステップしているんだったら、こうやってみようか』とか。ただピッチャーとキャッチャーだけでなくそこに、バッターが入ってくる」

 生活空間も洞察力、危機管理能力の練習の一部として谷繁が変わり始めて、これで覚醒したなと感じたのはどのあたりだったのだろうか。絶対的なクローザーであった佐々木主浩が、フォークを受けられない谷繁とは組まないと宣言して、長い間、終盤になると秋元宏作と交代させられていたのは、表面に出ている逸話である。

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