大矢明彦が佐々木&谷繁バッテリー誕生秘話を告白「シゲを使っていいか」 (4ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Kyodo News

「選手の成長を促すには、メンタルが一番ですよ。確かに当時の彼は大した評価じゃなかったですね。自分勝手で周りが見えないと。僕が入った時もそれは一番感じました。こういうふうに思われている子なんだな、というのがあった。

 そして、そういう評価を周囲にされてしまうと、本人も感じるじゃないですか。『どうせ俺のことは大してうまいと思ってねえんだろ』と。あるピッチャーが投げるときはマスクをかぶらせてもらえない。足らないものもたくさんある。

 でも、それが当たり前だと思うんです。高校を出て何年しか経っていなくて、そんなの全部そろっている選手なんかいませんよ。それを育てるのがバッテリーコーチの仕事なんです。

 その当時は、古田敦也(ヤクルト)の評価が非常に高かったんです。だから、どの指導者たちも基準が古田なんですよ。そりゃあ、古田と同じ目線で当時のシゲ(谷繁)を見たら、足りないに決まっているんです。だから、僕の仕事は、谷繁は谷繁だと、本人にも周囲にも意識づけさせること。そして早く才能を芽吹かせることでした。

 例えば覚醒が早熟ならば、5年かかるところを3年でやったら、2年分早く一人前になっているわけです。だから、それを自分の中では心がけて、それでシゲに当たっていきました。一番重要なことは、彼が僕の言うこと、アドバイスを"そうだな"と思ってやってみて、さらに自分で手応えをつかんでくれるということ、そのことをどうしたらできるかと思考しました」

 大矢は谷繁に指導の中身をそのつど納得させて、成功体験を与えることに留意した。

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