やらかしても前を向く。DeNA倉本寿彦はファン350人と握手した (4ページ目)

  • 村瀬秀信●取材・文 text by Murase Hidenobu


 違和感を抱えたまま失策を重ねた倉本は、次第に守備に対する自信も失っていく。そこへセカンドへのコンバートが重なった18年は、身体に染みついたショートの動きが、真逆の動きを求められたことでさらなる混乱を招いた。

 コンディショニングの問題が改善されつつあった19年は、一軍の舞台にいられる時間が少なかった。

「この2年間はほとんど試合に出られなかったですが、精神的に鍛えられた部分もあるし、セカンドや代打など、これまでやったことがないポジションも経験できた。その難しさであり、克服しようとしたことは、選手としての幅を広げてくれただろうし、人間的にも成長するには必要な時間だった......と、思います。だけど、やっぱり試合に出たいですよ。どんなにいい経験を積めていたとしても、野球選手が答えを出せるのはやっぱりグラウンドの中しかないですからね」

* * *

 20年1月。倉本は今シーズンの始動を、プロ入り後初めて地元に隣接する平塚球場からスタートさせた。細川成也や古村徹、NPBを目指し独立リーグでプレーする若い選手たちと午前から夕方まで練習を共にすると、自然と笑みがこぼれていた。

「前から地元で自主トレをしたかったんですけど、今年やっと実現できました。野球を通して知り合った、成長したいと願う若い選手と一緒に練習していくなかで、いろんな話ができて僕自身も刺激を受けました」

 毎年1月、倉本は出身地の神奈川県茅ヶ崎市でトークショーを行なっている。あまり前に出て話すのが好きではない倉本が、自ら進んで行なうこの地元のイベント。今年はイベント終了後に「いつも応援してくれる人たちに何かしら感謝の思いを伝えたい」と突然出口に立ち、来場者350人とひとりひとり握手を交わして見送った。

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