赤星憲広が「イップス」を受け入れ前進するきっかけは同期会だった (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

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 インタビュー現場は一瞬にして爆笑に包まれた。赤星にしてみれば半分冗談、半分本音だったに違いない。井端としても、プロで実績を挙げていくなかで自身の守備理論が洗練されていき、そのなかで赤星の難点に気づいたのかもしれない。時間が経ってみないとわからないこともあるのだ。

 赤星が高校時代に負った、いくら時間が経ってもふさがらなかった傷も、その後に新たな展開があった。3年春の甲子園、送球イップスの扉を開けた、忌まわしい悪送球。赤星は高校卒業後も「甲子園は自分のせいで負けた」と自分を責め続けていた。

 大府(愛知)の高校時代のチームメイトとは、年末に必ず集まり酒を酌み交わしている。毎年、決まって高校時代の思い出話に花が咲く。とくに秋の大事な公式戦で、代走で登場しながら牽制死した同級生がやり玉にあがる。

「何を考えてたんや、おまえは!」

 そう叱責するどの顔も、満面の笑顔に包まれている。もちろん、ネタとして定番化しているだけなのだが、赤星には気になることがあった。それは、赤星の甲子園での痛恨のエラーが一切触れられないことだった。赤星は内心「みんな気を遣って言わないのだろうな」と感じていた。

 ある年の集まりで、赤星は全員を前に切り出した。「みんな、俺の甲子園の時のこと言わへんよね」と。すると、同期たちはみな一様にキョトンとした表情を見せた。「いや、言わんようにしてるんちゃうで」。赤星は「そうなん?」と再度確認した。すると、当時のキャプテンが「そうやで」と言って、こう語り始めた。

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