「なんであんなに叩かれてるの?」と心配されるDeNA倉本寿彦の苦闘 (3ページ目)

  • 村瀬秀信●取材・文 text by Murase Hidenobu


 倉本を野球に戻したのは、母親の言葉だった。
 
「好きな野球をやると自分で決めたのなら、最後までやり抜きなさい」

 以来、心が折れるたび、その言葉を支えに立ち上がってきた。"そこらへんにいる普通の野球少年"だった倉本が、人よりもずば抜けて強く持っていたのは、"最後までやり抜く"という野球への一途な思いと憧れだ。

「試合に出るためには」「プロに入るためには」と考え、練習をやればやった分だけうまくなる。その喜びだけに従順に、憧れの横浜高校、そしてプロ野球を夢見ながら、文字通り朝から晩までボールを追いかけた。やがて無謀と言われた横浜高校でレギュラーを掴み、大学ではドラフト候補になるまで頭角を現した。大卒でプロ入りが叶わず道が途絶えそうになった時も、社会人・日本新薬に拾ってもらい25歳まではプロを目指すと決めた。

 14年、最後の挑戦と決めた年、都市対抗などでの活躍が認められ、ドラフト3位で横浜DeNAベイスターズからの指名を受け、倉本はようやくプロ野球選手になった。

「今となってはプロに行くまでに遠回りしたことが、僕には必要な時間だったと思えています。苦しんでいるなかで『どうすればよくなれるか』と考えて、道を探していくことで野球人としても、人間的にも成長することができた。

 プロに入ってからも成績が出ないと、どうしても周りから苦しんでいると見られてしまいますけど、野球が嫌になったことは一度もないし、自分にとっては、成長するには必要な時間だと思いたい。もちろん、プロとして成績は残さなきゃいけない。野球がうまくて、人間的にもよくなれたら一番いいんですけどね」

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る