福良GMが語るオリックス低迷の原因と受け継ぎたい「古き良き伝統」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Koike Yoshihiro

―― 福良さんのなかで、もっともいいチームだったと思うのは、いつのどのチームですか。

「それはやっぱり優勝した1995年のオリックスやないですかね。あの年って1994年とメンバーはそんなに変わっていなかったんです。でも、同じ顔ぶれなのにチームとしての一体感がまったく違っていました。阪神・淡路大震災の影響もあったかもわかりません。ただ、言われなくてもできる選手が揃っていましたし、若かったイチローや田口も先輩にああだこうだ言われて、相当、野球を勉強したんやないですかね。『このケースはこれじゃ、ダメや』って、選手同士が言い合っていました。

 たとえばイチローは自分のストライクゾーンに来たら何でも打って出るし、田口もどんどん打っていくタイプやから、『そこは状況を考えよう』と。1点差で負けている終盤、イチローと田口のふたりが2球でツーアウトって、『そんなんでどないするんや』と。もちろん積極性がふたりの持ち味なんやけど、『そこは持ち味だけで済ませたらアカン場面なんや』と、そんなふうに言ってやれる雰囲気があのチームにはありましたね」

―― そうやってイチロー選手や田口選手を叱咤し、教え導いてきた"福良選手"の役割を、では誰に託せばいいのでしょう。

「今のチームは若いだけに、そういうところがとくに欠けていると思います。そのあたりはアダム・ジョーンズにも期待していますし、ピッチャーでは比嘉幹貴、野手ではキャッチャーの山崎勝己の最年長コンビ(ともに37歳)にも期待しています。このふたり、チームのなかでは飛び抜けて年寄りなんですけど(笑)、じつは今のウチが勝つためには欠かせない、大切なピースなんですよ。若い連中を教育できるし、しっかりモノも言えますからね。(山本)由伸や(吉田)正尚にも遠慮せず、言うときはビシッと言ってもらわんとね」

おわり

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