野村克也に八重樫幸雄が感謝。
ベテランへの気遣いと現役後のアドバイス

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

――自由にやらせてもらえていたんですか?

八重樫 自由でしたね。二軍監督になるときに言われたのは「ハチ、お前の好きなようにしていいからな」ってことでしたね。ただ一つだけ言われたのは「若い選手の食育だけはしっかりと面倒を見てくれ」っていうことだった。

――「食育」についてのみ、野村監督から要望があったんですか?

八重樫 そう。「今の若い選手は食生活が乱暴だ」って言っていたかな? プロ野球選手は体が資本なのに、若い選手たちは食に無頓着でコンビニで売っているスナック菓子ばかり食べている。だから、きちんと食べることの大切さを伝えてほしい。そんなことだけ言われましたね。

――そして、野村さんは1998年シーズンを最後にヤクルトを去りました。それ以降は八重樫さんとの接点も少なくなっていくんですね。

八重樫 そうですね。それ以降はお会いする機会は減りました。でも、その後も野村さんのミーティングのノートを読み返したり、ノムさんの教えを思い返したり、間接的な接点は続いていたつもりだけどね。本当に野球が好きで、野球を徹底的に勉強した人なんだなって、あらためて感じました。

――その野村さんも天国に旅立たれました。改めて、八重樫さんから野村さんへの追悼の言葉を聞かせていただけますか?

八重樫 野村さんとの出会いは現役晩年のことだったけど、42歳まで納得のいく現役生活を送ることができたのは間違いなくノムさんのおかげでした。その後、指導者となったときにも、ノムさんから教わったことがベースになっていました。

 それからスカウトになって、還暦を過ぎても野球に携わることができたのは、やっぱりノムさんにいろいろなことを教わったからだと思うんだよね。まだまだ長生きしてほしかったし、長生きできると思っていたから、今回の突然の死は本当にショックだし、本当に悲しいです。本当にどうもありがとうございました。どうぞ、安らかにお眠りください......。

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