平石洋介の葛藤。愛する楽天と東北を去ることになっても貫いた信念 (6ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Koike Yoshihiro

 再び清水に電話した平石は、自らの意志を伝えた。

「清水さん、やっぱり辞めます。楽天を退団することに決めました」

「そうか......。よう、決断したな。よう、頑張ったな」

 電話口での清水は、声を詰まらせていた。

 球団からの二軍統括の要請を断り、退団の意向を伝えるのは、セ・パのCSファイナルステージ終了後から日本シリーズが開幕するまでの間と決めていた。自分の口から去就を伝えれば、マスコミは報道するだろう。そのことによって、プロ野球の大一番に水を差してしまっては申し訳ないと考えての配慮だった。

 それまでの間に、石井GMがA4用紙1枚に「監督退任の理由」をまとめ、マスコミ各社に配布していた。平石本人は、戦術面への言及やチーム育成の方向性など、その内容を詳しく把握していたわけではなかったが、この異例ともいえる"説明責任"を人づてに聞き、「潔く辞めたかったな」と、少しだけ思った。

 2019年10月15日。球団との話し合いで、平石の正式な退団が決まった。もともと会見の予定はなかったが、「最後に自分の口からみなさんに説明したい」と、楽天生命パーク宮城で取材に応じた。

 その場で綴った平石の惜別の辞は、楽天ファンの胸を打った。

「本当に仙台が好きですし、宮城県、東北が好きです。楽天に来て15年。選手、スタッフ、球団職員。また、ファンのみなさんへの思い入れは誰にも負けないくらい持っていますけど、そんな私でも、退団する決断をしました。それがすべてだと思います」

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