2020.02.02

「野球やめるしかないな」。王貞治は
スランプの柳田真宏に冷たく言った

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki


 ここまで、柳田さんは一貫して「代打」とは言わずに「ピンチヒッター」と言い続けている。今やマスコミ上でもほとんど「ピンチヒッター」は使われないだけに、耳に新鮮に響いていた。実際、何度も「ピンチ」に追い込まれながら生き残った柳田さんの野球人生を顧みると、「代打」と言うのは全然ふさわしくないと思える。そもそも最初に聞いたとおり、〈巨人軍史上最強の五番打者〉は、「全部ピンチヒッター」の意識のもとに生まれたのだ。

「僕はどっちかといったら、タイプ的にピンチヒッターが合ってたのかもしれません。今と違って、どんなに打っても『ピンチヒッターは控えだ』ということで給料は上がらなかったですけど。どんなに結果がよくても次の日はスタメンじゃなくて、何度もがっかりしましたけど。でも結局、全部ピンチヒッターのつもりで行って、5番としてなんとかやれたんですからね」

 話題はそれから77年のシーズンへとつながり、3割4分の高打率を残しながら首位打者を逃した反省、80年に阪急(現・オリックス)に移籍するまでの顛末、引退後の歌手活動の思い出へと移行。すると、歌のレッスンには現役時代の経験が生かされたということで再び話は野球に戻り、V9時代とその後の巨人野球との比較論が展開された。すでに2時間が経過していた。

 ふっと対話が途切れたところで、柳田さんは姿勢を正して「もう、よろしいですか? ほかにまだ、何かございますか?」と言った。突然の丁寧過ぎるほどの口調にうろたえつつも、僕は最後のつもりで矢野顕子の『行け柳田』の話を持ち出した。