2020.02.01

「王さん、歩け歩け」。
巨人史上最強の5番打者は内心そう思っていた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki


 その神様が熊本に帰郷した際、1年生の柳田さんを視察しに来た。九州学院高の監督、巨人の九州地区担当スカウト、いずれも熊本工高の出身で川上監督の後輩だった関係で実現した。必然的に獲得が決まったようだが、65年にドラフト制度が導入され、翌66年に西鉄が指名。ただしその際、「3年間は西鉄に預ける」との裏約束ができていたらしい。

「それが1年早く、2年で移籍したら、いきなり腰を痛めちゃって。グラウンドに出ても外野をずーっと歩いて、ジャージ着て球拾いです。で、やっと練習できる状態になったとき、このままじゃクビだな、1回ぶっ壊れた体なんだから、2回壊れてもいいやと思って、二軍の練習行く前と帰った後、合宿所のマシンでカンカン打ってたんです」

 捨て身の練習のおかげでファームの試合で結果を出した柳田さんは、リーグ5連覇が決まった後の1軍戦に出場。広島とのダブルヘッダー第1試合では代打で二塁打を放つと、第2試合はスタメン1番。初回にいきなり初球を叩いて本塁打を放ったという。

「それで首の皮一枚つながった、と思って合宿所に帰ったら、『鬼寮長』といわれた武宮敏明さんに呼ばれて。『おまえ、わかってるよな? 来年ダメだったらクビだぞ』って。やっと契約してもらったのに、その時点でクビを宣告されたんですよ。厳しいでしょう? だから年末にはいったん熊本に帰ったけど、新年、3日には合宿に戻って、ずーっと練習してました。正月気分を味わって、お餅食べたりなんかするっていう気持ちには全然なれなかったですよ」

(後編につづく)

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