2020.02.01

「王さん、歩け歩け」。
巨人史上最強の5番打者は内心そう思っていた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki


 柳田さんには〈代打で5年連続打率3割以上〉という記録がある。5年連続は73年からだから、5番に定着した77年も含まれる。つまりレギュラーとなっても、ときに代打で起用されたら結果を出していた。そのあたり「全部ピンチヒッター」の意識が裏付けられていると思う。

「で、ひとつ言っておきたいことがあります。僕はピンチヒッターで結果を出せたから巨人で生き残れたんですけど、西鉄から巨人に移籍したときにはクビになりかけてるんです。そのときのことを考えたら、野球を続けられる喜びっていうのはすごいもので、ピンチヒッターの重圧なんていうのも微々たるものだったんですよ」

 5番の重圧の話から、急激に時間が逆戻りした。資料によれば、柳田さんは69年、巨人移籍直後に腰を痛めて入院。プレーできない状態が長く続き、確かに〈クビを覚悟していた時期があった〉と記されていた。それでも、九州学院高での柳田さんは1年時から4番を打ち、「九州一のスラッガー」と呼ばれ、熊本工高出身で同郷の川上監督も注目していた逸材だった。

 66年の第一次ドラフト2位で入団した西鉄では、1年目から1軍出場を果たして本塁打も放っている。将来への期待が大きいからこそ巨人は獲得し、故障の回復を待ったのではなかろうか。何より柳田さん自身、もともと巨人入団を希望していたのだという。

「なにしろ、地元熊本の大先輩、川上さんにあこがれてましたからね。西鉄では最初、背番号77をつけさせてもらいました。川上さんが現役のときの16番はつけている方がいたから、監督になってからの77番でも川上さんだと。ははっ。で、2年目には空いたので16番。神様ですもん、熊本で野球やってた僕らにとっては」