ヤクルトの球団方針を覆した岩村明憲。八重樫幸雄もひと目で「すごい」 (5ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――後に池山さんの背番号1を受け継ぐことになる岩村さんですが、当時の岩村さんはまだ若手で、池山さんは現役の晩年を迎えたベテランでした。両者はどのような関係だったのですか?

八重樫 さっきも言ったように、岩村は先輩に対しても臆することなく自分の意見を言うタイプだったけど、池山はそんな岩村のことをかわいがっていました。岩村も池山のことを慕っていたんじゃないのかな? 「兄貴、兄貴」ってなついていたからね。

――以前、池山さんに「岩村を育てるために彼には厳しく当たった」というお話を聞きました。「岩村は自分の後継者だ」という思いがあったんですか?

八重樫 それはあったと思いますね。「自分はもうこれ以上伸びない。じゃあ、次はガン(岩村の愛称)だ」っていう思いがあったんじゃないかと。だからなおさら厳しいことを言ったんだけど、岩村は素直に応えた。それが、後の成功につながったんだと思います。フラフラやっていただけでは、現役生活はすぐに終わっていたでしょうね。

――球団社長に直訴してまで、「1年目から使い続ける」と言った八重樫さんにとっても、岩村さんの成長、ブレイクはうれしかったでしょうね。

八重樫 それはうれしかったですよ。なにしろ、メジャーに行ってもレギュラーになって試合に出るわけだから。ただ、そもそも彼には才能があったのも事実だし、そのあとも必死に練習を続けた努力の成果だと思う。後に僕が東北担当のスカウトになった時、彼は(BCリーグの)福島レッドホープスの監督で、よくグラウンドで会いましたね。

――そうか、岩村さんが選手兼任監督時代に、福島のグラウンドで再会しているんですよね。

八重樫 福島での岩村は「選手」であり、「監督」であり、「社長」も務めていたから、何から何までひとりでやって「たいへんだな」って思ったよ。ルーキー時代を知っているだけに、本当に立派になったなと思ったし、うれしかったな。

(第14回につづく)

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