広澤克実が語るロス五輪金メダルの真実「チームワークなんてなかった」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 そもそもメンバーのうちの大学生6人は、その前に大学代表としてアメリカで試合をしていたんです。日米大学野球です。サンフランシスコから入って、デンバー、ヒューストン、ネブラスカ州のオマハ、デトロイト......アメリカのあちこちを回っていました。

 しかも、あの年のアメリカの大学代表にはマーク・マグワイアとかシェーン・マックとかウィル・クラークとか、のちにメジャーリーグで活躍するスーパースターが揃っていて、みんな、そのままロサンゼルス五輪の代表メンバーにも選ばれていました。

 だから日米大学野球でも「彼らはオリンピックメンバーだ」ということで大騒ぎされて、どこへ行っても超満員。毎試合、大々的なセレモニーがあって、僕らもサンフランシスコではメジャーのオールスターゲームまで観戦させてもらって......それは僕らがアメリカのオリンピックチームと一緒に行動していたからですよね。

 そういうアメリカ代表に僕たちが、大学選手権はもちろん、オリンピックで勝てるわけがないよって、正直、思っていました。しかもアジアの予選で勝てなかったチャイニーズ・タイペイには郭泰源がいて、韓国には宣銅烈がいて、アジア予選で負けた日本はキューバがボイコットしたからということでバタバタッと代表チームを編成して、急遽、出場することになったでしょ。僕ら大学生も日米大学野球からそのままオリンピックへ行けって......そんなドタバタな感じでしたから、いや、金メダルなんて、まったく想像していませんでした。

 僕はあの時が初めてのアメリカだったんですけど、正直、もう二度と行きたくないと思いました。言葉も通用しないし、食べ物もおいしくない。お昼は毎日ハンバーガーで、泊まるのは3人一部屋のモーテルですから。日本とは環境が全然、違うじゃないですか。ごはんをお腹いっぱい食べられないから、バッティングの調子も上がらない。

 向こうで最初、僕は全然、ダメでした。生水も飲めないからコーラとかオレンジジュースとか牛乳とか、そんなものばっかりでお腹を満たしていたんです。もう、アメリカが嫌になっちゃって、二度と行きたくないと思って、ヤクルトに入ったら、なんとキャンプが毎年、アメリカ(ユマ)だったという......(苦笑)。

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