2019.12.24

松沼兄が告白。「西武ドラフト外入団」
の真実と「空白の一日」との関係

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

「たしかにオトマツは大学4年の時、プロに行けるレベルになってたね。でも東京ガスで、ふたりでやると決まっていたんです、本当に。親父も『プロには行くんじゃない。社会人で堅く行くのが一番いい』って言ってたから。西武が『東京ガスに決まった』と言わせていた、なんていうことはないです(笑)。ただ、オトマツはね、プリンスホテルにも声をかけられているんです。それでも東京ガスだと」

 日本選手権と神宮大会が行なわれていた最中の11月2日。西武グループのプリンスホテルは記者会見を開き、同社社長にして西武球団オーナーだった堤義明が自ら第一次入社内定メンバーを発表。慶應義塾大の捕手・堀場秀孝をはじめ、ドラフト上位指名候補選手が揃っていた。発表は第二次、第三次と続き、駒沢大の遊撃手・石毛宏典、専修大の捕手・中尾孝義と1位指名確実の選手も内定。すると、同14日に行なわれた第三次内定メンバー発表の会見で堤が言った。

「プロに行きたがっている優秀な選手を、ひとりでもふたりでも多くアマ野球界に引き留めたいという狙いで、今回、3回にわたる試験で計30人を獲った。狙って獲れなかったのは松沼くんだけ」

 まさに博久の言うとおりだったのだが、雅之にとって石毛、中尾、堀場は全日本で一緒だった選手。みんなが行くプリンスに魅力を感じていたという。そもそも、プリンスが有望選手を次々に獲れた背景には、最高2500万円とも言われた破格の支度金もあった。なにしろプロのベテラン選手の年俸が4000万円ほどだった時代。普通ならアマチュア規定に触れる金額だが、チームはまだ日本社会人野球協会(現・日本野球連盟)加盟前。協会がクレームをつけることもできなかったのだ。

 大半のプロ球団は、ドラフト前に有望選手を獲られる形となって困惑。内定なので指名は可能だったが、拒否を考えれば手を出しにくい。その上で同じ西武グループのライオンズへのトンネル入団も危惧され、マスコミの論調も批判的だった。