2019.12.24

松沼兄が告白。「西武ドラフト外入団」
の真実と「空白の一日」との関係

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

根本陸夫外伝~証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第6回
証言者・松沼博久(1)

(第1回から読む>>)

 暮れも押し迫った1978年の12月28日、都内の東京ガス本社をふたりの青年が訪れた。ひとりは同社のエースで、同年の社会人ベストナインに選ばれた松沼博久。もうひとりはその弟、同年の「大学No.1投手」と評され、東京ガス入社が内定していた東洋大のエース・松沼雅之である。

 この日、兄・博久は退社届を、弟・雅之は入社辞退届けを会社に提出している。理由は前日、兄弟揃ってドラフト外での西武入団が決まったからだった。周りの声は「120%、巨人入り」だったところ、なぜ一転したのか——。そこは当時の西武監督兼球団管理部長、根本陸夫の存在が大きかったと伝えられているが、入団交渉に至るまでの経緯を兄・博久に聞く。

1978年のオフに西武にドラフト外で入団した松沼博久(写真右)と弟・雅之「そもそも、巨人というより、プロ入り拒否ですから、オトマツ(弟・雅之)も。ドラフト前にはほかの球団から『本当にプロに行かないんですか?』って電話が入りました。そういう時には『いや、兄弟で東京ガスにお世話になります』って答えていたんです。そこまで言ったらね、ドラフトで指名はしないでしょうから。それで何で東京ガスかといったら、僕はチームの江口(昇)監督をめちゃくちゃ慕っていたので。『この人のために頑張りたい』っていう思いが入社当時からあったんですね」

 東京ガスとの関係は高校時代にまで遡(さかのぼ)る。松沼家が東京・墨田区から千葉・流山市に転居したあと、博久は千葉・柏市立柏中野球部の先輩が通っていた茨城・取手二高に進学。のちに甲子園で全国優勝を成し遂げる監督、木内幸男と出会ったなか、投手コーチの本田有隆が東京ガスの出身だった。

「2年の夏が終わったあと、本田さんにピッチングを教わりました。ただ、ピッチャーが足りないから木内監督に『おまえやれ』と言われただけで、まさか自分が本当にやるとは思ってない。上から投げる投げ方もわからない。それで生き残っていくにはアンダースローかなと。僕はもともとショートで横から送球することも多かったから、そのほうがスムーズで、ストライクも入ったし、もうこれでいいやって」

 嫌々ながらの投手だったが、アンダースローで快速球を投げるだけの高い身体能力はあった。父親は野球経験がなかったが足は速く、母親も学生時代は陸上部。それだけに博久にも脚力があり、俊足を生かすために木内から左打ちに変えさせられたほどだ。