元近鉄の礒部公一が語った合併問題と「いてまえ」オールスターズ結成の夢 (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

 地域密着の大切さをプロ野球関係者に知らしめたのは、2005年に誕生した楽天だった。礒部は初代キャプテン、選手会長として、誕生したときからずっとその中心にいた。

「僕は近鉄がオリックスと合併するとき、自分で選んで楽天に行きました。歴史もなく、設備も戦力も十分ではなかった真っ白な状態から、みんなでチームを作っていきました」

 2005年の楽天は、38勝97敗1分、勝率2割8分1厘という苦しい戦いを強いられた。しかし、野村克也監督就任4年目の2009年に2位になると、2013年には星野仙一監督に率いられてリーグ優勝を果たし、日本一に輝いた。

【死ぬほどバットを振らされた理由】

 2005年に打率2割6分4厘、16本塁打、51打点という成績を残した礒部は、それ以降もチームをリードし、2009年に現役を引退。近鉄、楽天での13年間で、通算1225安打、97本塁打、517打点という記録を残した。その後、2017年限りでチームを離れるまではコーチも務めたが、今のプロ野球をどう見ているのか。

「もっと個性のある選手が育ってきてほしい。昔の中村紀洋みたいな豪快な選手、ひと振りで客を呼べるスターに。今のご時世、枠からはみ出す人が出てくるのは難しいかもしれないけど、ファンが見たくなる選手、会いたくなる選手がもっともっといればいいと思います」

 磯部にとって近鉄は故郷であり、プロ野球選手としての原点だ。

「最近、近鉄の先輩から昔の話を聞く機会があって、あらためて西本幸雄さんの存在の大きさを感じました。近鉄という球団の骨格をつくってくださった方ですよね。僕たちは、教え子の梨田昌孝さんや羽田耕一さんを通じて、西本さんの教えを学んだんだと思います。僕たちが若い頃に死ぬほどバットを振らされた理由がわかりました。僕がプロ野球で13年間プレーできたのは、近鉄に昔から伝わる猛練習があったからなんだと」

 かつて、監督としてチームを初優勝に導いた西本が語った「選手をモノにしてやろうと愛情を持って、回り道させないように指導をする。プロ野球の監督やコーチは、そういう指導者の集団でなきゃいかん」という選手育成の思いが、近鉄には残っていた。

 礒部にとって、近鉄魂とは何か。

「近鉄という球団は、グラウンドで結果を残せば何も言われない。プライべートもうるさくないし、僕を自由にさせてくれた。そうして、プロ野球選手の礒部公一を作ってくれました。いろいろな方が、それぞれの言葉で近鉄魂を表現されますが、結局は同じようなことを言っている気がします。巨人軍が『紳士たれ』なら、近鉄はやっぱり『いてまえ』です」

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