元近鉄の礒部公一が語った合併問題と「いてまえ」オールスターズ結成の夢 (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

「とにかく、精神的に疲れました。もし新球団ができたとしても近鉄はバラバラになってしまう......」

 オリックスとの合併が決まり、そのあとは12球団での2リーグ制維持が最大の目的になった。

「新球団の参入を認めてもらうために、オリックスとの合併は妥結しないといけない。ほかに手立てはありませんでした。これ以上、ほかの球団の人たちに迷惑をかけるわけにはいかなった」

 この時期、礒部はいろいろな人に頭を下げて回った。

「選手会ミーティングのとき、ほかの球団の選手会長にも、みんなに頭を下げました。『近鉄のせいで申し訳ありません』と」

 近鉄の選手会長として働き続けた礒部の精神的、肉体的な疲労は相当なものだっただろう。それでも、2004年シーズンは120試合に出場して、打率3割0分9厘、26本塁打、75打点をマークしている。26本塁打は、礒部のキャリアで最高の本数だ。

【「12球団で2リーグ」を守ったことの意味】

 2004年をきっかけに、プロ野球は変わった。今では、札幌、仙台、関東、名古屋、関西、広島、福岡。地域に根差し、愛される球団が増えている。
 
 礒部は言う。

「あのとき、日本のプロ野球がこうなるとは想像できませんでした。12球団で2リーグを存続できたことが大きかったと思います。僕は新球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに所属することになりましたが、そこで地域の力を感じました。2005年以降、パ・リーグの球団が頑張ったことが、今につながっています」

 日本プロ野球選手会が、ひとつの組織として最後まで戦ったこと。それによって、両リーグ選手間にあった感情的な垣根を取り払うことができたと、礒部は感じている。

「12球団でプロ野球ができていること、ファンあっての僕たちだということに、本当の意味で気づいたのかもしれませんね」

 30年も前、ドラフトにかかる有力選手の中には「希望は在京セ(・リーグ)」と公言する選手も多かった。巨人、ヤクルト、横浜を差すその言葉を、今ではもう聞くことはない。プロだけでなく、アマチュア選手の意識も変わった。

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