立浪和義を殿堂入りに導いた打撃理論。その原点は中学時代にあった (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 この基本はいつから大切にしてきたのかを尋ねると、「はっきり覚えていないんですけど......」と前置きして、こう答えた。

「少年野球の頃に『バットを上から振り下ろせ』って言われて、よく練習していたのは覚えています。『腰の回転は横だから、バットを上から落としていけばちょうどレベルスイングになる』と。このことは常に頭に置いてやっていました」

 この教えはPL学園の中村順司元監督もよく口にしており、過去の取材のなかで何度も耳にしていた。ただ、立浪には中村監督の前に、同じ教えを説く指導者と出会っていた。

 中学時代、立浪を指導した茨木ナニワボーイズの多田章監督だ。2013年にこの世を去ったが、中学野球界では知られた人物だった。以前、多田監督に話をうかがったことがあったが、立浪のバッティングの原点はここにあったのだと深く感じたものだ。

「立浪は中学3年になると、120メートルを超えるホームランを打ったり、本当によく飛ばしていたんです」

 そう振り返った多田監督は、打撃理論について興味深い話を次々と語ってくれた。

「私の高校時代(大分商業)の監督が理論立てて教えてくれる人で、常に『野球は科学だ』って言っていたんです。小鶴誠さんがバットの先に電球をくくりつけてスイングしている分解写真を見ながら、『バットは上から出して、先(ヘッド)が寝たらダメだぞ』『バットというのは、こうして内から出すんだ』って。昭和20年代後半の話ですけど、その時代にそういう指導をしていただいたのは私の財産。それから私も『野球は科学だ』と、体は小さくても打球は飛ばせると思えるようになって、立浪たちに教えていきました」

 ちなみに、小鶴とは身長176センチの体から腰の回転を存分に使った美しいフォームで、1950年に松竹ロビンスで51本塁打を放った伝説のスラッガーだ。

 多田監督の教えには、立浪の打撃スタイルにつながると思えるものがいくつもあった。たとえば、構える時、右手と左手の間に指1本分の隙間を空けてグリップを握っていたのだが、本人に聞くと特別な意識はないと言っていたが、多田監督は次のように語ってくれた。

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