2019.12.10

愛甲猛が明かす根本陸夫と星野仙一の
人心掌握術「選手を尊敬してた」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

「電話は西武の森監督からでした。『ウチはFAで獲れないけど、レフトを空けておく。いったんロッテを自由契約になってうちに来い』と。僕はもともと、幅のオヤジに『とりあえずロッテに行っとけ。あとで西武に引っ張ってやる』って言われていたし、当時、根本さんはもう西武にいなかったけど関係あるのかな、と思いました。結局、実現しなかったわけですが、オヤジと根本さんの顔が思い浮かんで悩みましたね。FA宣言するかどうかも悩んでいたので」

 最終的にロッテ残留を決めた愛甲だったが、95年、広岡がGMに就任し、監督にボビー・バレンタインを招聘。チームの体制が大きく変わったなか、広岡との間に確執が生じる。GMの立場を超え、まるで監督のように選手を管理する広岡に疑問を持ったのが原因だった。周りは「日本球界初のGM」に注目したが、チーム内には険悪なムードが蔓延していた。

「チームをどうやって強くしていくか。GMはそこに尽力しなきゃいけないのにもかかわらず、ストッキングの履き方を注意しに来たり、キャンプでベテランの調整方法を認めなかったり。アリゾナキャンプに行った時には、現地の知り合いの店の商品を選手たちに買わせたり……。何をしたいのか、わからなかったです。僕は日本のプロ野球で初めてGMの仕事をしたのは根本さんだと思っているし、その根本さんと比べたら雲泥の差ですよ」

 愛甲に限らず選手間で疑問を持たれたのは、GM補佐の高木益一。「広岡の子飼い」だった高木は監督然とした態度で選手に接し、技術的な物言いをしては練習に口を出していた。主力選手の多くは高木に反発し、必然的に広岡との関係も悪化した。

 シーズンに入って6月、愛甲は二軍降格を命じられた。理由は理不尽なもので監督に不満を述べると、「すまない。私にはあなたを守る権利がない」との返答。明らかにGMが人事権を握っていると判明し、その後、ヘッドコーチから打撃不振が理由と告げられたが、ロッテには戻らない覚悟で二軍へ向かった。オフには「予想どおり」自由契約になると、中日に移籍。ロッテで指導を受けたコーチが中日に在籍しており、監督の星野仙一に愛甲の退団を伝えていた。