村田修一が松坂世代を語る。松坂大輔にエール「限界まで投げ切って」 (2ページ目)

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORTS

──また、巨人時代に共にプレーした日本ハムの實松一成捕手は、二軍バッテリーコーチとして巨人に戻ってきましたが。

「サネは佐賀学園高校時代、九州地区では誰もが知っている選手でした。僕は東福岡高校で投手をしていて、練習試合も何回かやりましたけど、『何が實松じゃ』と意気込んで投げて二塁打を2本打たれたのが最初の記憶です(笑)。彼は高校卒業後にプロに入って2006年から巨人でプレーし、僕が2012年にFAで移籍してチームメイトになった時には、チームの規律などを教えてくれ、ほかの選手たちとの"懸け橋"的な役割も果たしてくれました。おかげでチームになじむことができましたし、巨人時代は本当に彼に支えられました。

 もうひとつ、忘れられないエピソードがあります。サネと食事する際は、先輩や後輩の選手と一緒に和気あいあいの雰囲気で行くのが定番だったんですが、僕が巨人を退団する2017年の交流戦前に、『ふたりで(食事に)行こう』と誘われたんです。"サシ"で行くのは、その時が初めてでした」

──その時はどんな話をしたんですか?

「その年の前半戦、僕はスタメンでの出場が減って代打での起用が多くなっていて、『前年も結果を残したはずなのに......』という悔しさが表情や態度に表われていたんでしょう。気持ちも切れかけていたんですが、それを感じたサネは、『気持ちはわかるけど腐ったら終わり。シュウ(村田コーチの愛称)にはみんな期待しているし、チームに影響を与えられる選手。交流戦はDHがあってチャンスもあるから頑張ろうよ』と言ってくれたんです。

 その言葉を受けて気持ちを入れ直し、交流戦から出番が増えて最終的には打率.262、14本塁打の成績でした。規定打席には達せず、そのシーズンで退団することにはなりましたが、それなりの結果を残すことができたと思います。サネの言葉がなければ、もうひと頑張りできずに『村田は完全に終わったな』と周囲に思われかねないシーズンでした。あの時のやりとりがなければ、今の自分の立ち位置も変わっていたかもしれません」

──続いては選手ではなく監督になるのですが、"松坂世代"で初めてプロ野球の指揮官となった平石洋介・前楽天監督(現ソフトバンク一軍打撃兼野手総合コーチ)については?

「PL学園高校と同志社大学でも主将を務めていたこともあって、リーダーシップに優れ、すばらしい野球観がある人物だと思っています。指導者になったのは僕のほうが遅いので、平石は目標であり、『いつか自分も監督に......』という希望を持たせてくれますね。

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