八重樫幸雄が指摘。キャッチングは「古田より谷繁をマネたほうがいい」 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――古田さんがレギュラーとなった1990年代は、同時にヤクルトの黄金時代となりました。古田さんがレギュラーになったことで、何が変わったのでしょうか?

八重樫 古田がレギュラーになってピッチャーとキャッチャーがよく話をするようになったと思います。若い投手が多かったし、古田とも年齢が近かったから、試合後にも自発的にミーティングをするようになっていたね。それまでは"一方通行"だったけど、その点は大きく変わったと思いますよ。

――実際に当時のヤクルト投手陣に話を聞いてみても、「古田さんとはよく話し合った」という発言をしばしば耳にします。

八重樫 そうでしょうね。各投手の細かいクセや性格などの情報が増えてくるにつれて、具体的なアドバイスをするようになったんだと思います。古田は高いレベルを要求するからピッチャーは大変だったと思うけど、当時は川崎憲次郎、岡林洋一、西村龍次、伊藤智仁など、要求に応えられるピッチャーも多かったからね。

――1990年代はドラフトで好投手を次々と獲得し、古田さんがさらに実力を引き出す。その好循環があればこその黄金時代だったんですね。

八重樫 そうだろうね。古田の存在はとても大きかったですから。古田の高い要求に、しっかり応える好投手たち。野村監督時代はバッテリーを中心にしっかりとした野球をしていた。そんな印象がありますね。

(第11回につづく)

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