2019.11.28

カープ伝説のエース・外木場義郎が
明かした「完全試合」達成の心境

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki


 もっとも、その記者の意地悪な言葉は、予言めいた響きを持っていたといえる。大記録達成の初勝利ゆえに首脳陣の期待は大きかったはずだが、翌66年の外木場さんは主にリリーフを務めて0勝1敗。67年は先発も一気に増えたなかで2勝3敗。決して、順風満帆な投手人生の始まりではなかった。

「一時はトレードの話とかも出たんですよ。それがある日、当時はヘッドコーチだった根本陸夫さんに呼ばれまして。『おまえは力強さ的なものは非常にいいものを持っているので、もう少し力の配分を考えたらどうか』と指導されたんです。『バランスもいいんだけども、やや重心が高いから、高めにボールが行きやすい』と。それが最初のきっかけで、改めて、練習を積んでいったわけです」

 67年のシーズンオフ、指導を受けていた根本ヘッドの監督就任が発表された。直後、外木場さんは新監督に呼ばれた。

「『ちょっと会社に来てくれんか』と。普通、活躍してない選手が呼ばれたらね、いよいよトレードか、ヤバいな、と思いますよ。それで行ってみたら、ざっくばらんで、『まあ、お茶でも飲むか』と言われて何かおかしい。そしたら、『俺は来年、監督やるけれども、お前は一軍のピッチャーとして扱うから、そのつもりでしっかり頑張ってくれ』と」

 わざわざ会社まで呼ばれて言われたことで印象に残り、監督の思いが伝わってきた。その監督の方針のもと、「12球団ナンバーワン」といわれた広島の練習量。特に投手陣は藤村隆男投手コーチの指導が厳しく、1人が練習中に泡を吹いて倒れ、痙攣(けいれん)を起こしたこともあるほどだった。外木場さんが「彼はもうダメかな」と思っていると、若干、練習量が減らされた。

「もし倒れる者が出なかったら、と思うとゾッとしますよ。なにしろ、キャンプでキャッチボールが終わったら、野手の練習が終わるまでピッチャーは休みなし。2時間半ぐらい、とにかく走ることを重点に動き続けるわけです。今の選手にやらしたら、みんな野球やめてしまう、というぐらいのきつい練習。ですから、そういう練習に耐えられたことは、何か、記録ができたことにもつながるんじゃないでしょうか」