元阪神・林威助が危惧する台湾野球。アメリカ志向と投手陣の弱体化 (3ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • photo by Asa Satoshi

 この夏、ドミニカのメジャーリーグアカデミーを取材したが、そこにふたりの台湾人大学生が練習に参加していた。人材の早期流出という課題は、まだまだ解決していなかった。

 また、林が台湾に帰ってきて感じたことは、プレースタイルの変化だった。台湾の野球は、日本人が普及させたこともあり、日本流の鍛錬と規律を重んじたスモール・ベースボールをベースにしたものだ。1990年に台湾でプロ野球が始まったが、当初は監督に日本人を招聘する球団が多かった。

 しかし、林が台湾を離れていた20年近くの間に大きな変化が起こっていた。林が台湾に帰ってきた時、プロ4球団すべてのチームがアメリカから指導者を招き寄せていた。日本で長らくプレーしていた林の理想は、日本の野球である。だから、いまの台湾の野球には多少のジレンマを感じているという。

「バントなんか、大事な時に決まらない。まあ、最近はきちんと練習するところも多くなってきましたけど......」

 意外かもしれないが、現在のアメリカ野球は超管理的だ。練習メニュー、練習量など、すべてチームが管理している。ウエイトなどもメニューが決められ、トレーニングコーチがついていなければ自分でやることはできない。自主的な打撃練習など、もってのほかだという。

「私が二軍の監督に就任した時もそうでした。だから、まずそれをあらためました。いまは自分で足りないと思ったら練習OKです。アドバイスすることもありますが、すべて言うわけではありません。自分でやっていくなかで、『これだ』というものをつかむことが大事なんです」

 現在、練習は丸一日、夜間練習も実施しているという。しかし林の目指す野球は、すべてが日本流というわけではない。

「日本と台湾のミックスですね。そのまま日本のやり方をすると、誰もついてこられないですよ(笑)。なにしろ、台湾は蒸し暑いですから。そこも考慮しながら練習させています」

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