元阪神・林威助が危惧する台湾野球。アメリカ志向と投手陣の弱体化 (2ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • photo by Asa Satoshi

 台湾人指導者は、まず台湾プロ野球で実績を残してからアメリカに渡ったほうがいいと言うのだが、1990年以降、プロリーグの分裂危機や度重なる八百長事件などでマイナスイメージが定着し、選手の親世代がメジャーを頂点とするアメリカ志向になってしまったと、林は嘆く。

「私が台湾に帰ってきた頃、プロ野球の人気はかなり落ちていました。でも、最近はちょっと変わってきています。ファームの環境もよくなり、給料もだいぶ上がってきています。まずは台湾で腕を磨こうと考える選手が多くなってきています」

 台湾人選手がメジャーでプレーしたのは、2002年に陳金峰がドジャースで外野手としてデビューしたのが最初である。その後、2005年にヤンキースの王建民が初めてメジャーのマウンドに立ち、翌年、アジア人として初の最多勝投手となった。

 以来、これまでメジャーでプレーした台湾人選手は16人。このうち、アマチュア球界から台湾のプロ野球を経てアメリカに渡ったのはふたりだけしかいない。

 メジャーのスカウティング網の拡大に伴い、近年、北米以外でもメジャーリーガーを多く輩出する地域の選手の契約金は高騰している。たとえば、ドミニカ共和国では、日本円で億単位の契約金も珍しくなくなってきている。しかし台湾の場合、その実績のなさからか、契約金は高額ではなくなっていると林は言う。

「昔のほうが高かったんじゃないかな。最近聞いたのは、5万ドル(約550万円)でした。ドミニカなどは、これまで多くのメジャーリーガーを輩出し、今でも多くの選手が活躍している。いま台湾人のメジャーリーガーって誰がいます? いないでしょう。そうなると、契約金も下がってきます。10年ぐらい前はみんな期待していたけど全然ダメで、そういう選手がいま台湾に帰ってきてプレーしています」

 台湾プロ野球リーグ(CPBL)は、2019年になってようやくメジャーリーグ(MLB)、日本プロ野球(NPB)、韓国プロ野球(KBO)といった主要リーグと選手の移籍に関してポスティング制度の協定を結んだというが、アマチュア選手に関しての規定はない。

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