2019.11.11

岡本和真が秘めていた究極の打者像。
高校では本塁打への執着を捨てていた

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 その言葉を聞いて、おそらく大阪桐蔭時代の中田翔(日本ハム)なら「ホームラン王を獲りたい」と語っていたはずだと思った。だが、当時の岡本は「ホームラン王も」というニュアンスで話すことが多く、その部分に物足りなさを感じたのかもしれない。

 高校1年の秋から4番に座り、1年時の本塁打は8本だったが、2年生になると1年間で48本塁打を量産した。その理由を聞くと、岡本はこう答えた。

「監督や部長から『3年になったらチームのことを考えてプレーするようになるから、思い切りできるのは今のうちだけやぞ』と言われて、それで打席では常に思いきり振っていこうと。その結果だと思います」

 この頃の岡本は、間違いなくホームランを意識していた。それが最上級生になると、「チームのためのバッティングをしたい」や「ランナーを還すバッティングを心がけたい」など、常に意識はチームに向いていた。

 そのなかで、ただ一度だけ「バックスクリーンにホームランを打ちたい」と言ったことがあった。それが3年春のセンバツ直前である。その理由を聞くと、「監督から『たまには大きいことを言ってみろ』と言われて......」と明かしてくれたことがあったが、センバツ初戦の三重戦では宣言どおりバックスクリーンに特大の一発を放ち、さらにその試合ではもう1本スタンドへ放り込んだ。

 甲子園という大舞台でホームランアーチストの資質を存分に見せつけた岡本だったが、それでもその後は「チームのために」という姿勢を崩さなかった。

 3年夏の大会が始まる前、ある雑誌で「岡本和真はプロでホームラン30本を打てる選手になるのか」という記事を書いた。その際、岡本に「将来の話として、次のどの数字に惹かれるか?」と質問した。その数字とは「3割、20本塁打」「2割8分、30本塁打」「2割5分、40本塁打」の3つ。すると岡本は「3割、20本塁打です」と即答して、こう続けた。