2019.11.08

愛甲猛が見た西武黄金期を築いた
最強タッグ「完全に任侠映画の世界」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Ysuyuki
  • photo by Sportiva

「だから、それは私が決めるんです。球団の社長はこういうことをやりなさい、監督はこういうことをやりなさい、と。監督の下にはスカウトがいる、コーチがいる、そのスカウトとコーチの人事権は監督にある。これは支配人と同じです、機構的には」

 監督の話から「支配人」が出てくるのは何とも象徴的だが、当時、表向き、根本を後押ししたのは球団運営実務のトップに立つ戸田博之だった。戸田は「西武グループのナンバースリー」といわれ、堤の考えを知り抜いた参謀タイプ。それでも球界の内情には詳しくなかったため、幅が裏で動く必要があったのだろう。

 では、それだけの存在だった幅の名が表に出なかったのはなぜなのか。プロが恐れたプリンスのスカウト網については再三マスコミに取り上げられたが、幅敏弘という名前が出たことはまったくなかった。その理由を愛甲に聞く。

「オヤジは絶対に『自分が表に出よう』という人ではないんです。だから当時、プリンスにいた人でオヤジを知らない人はいないし、プリンスの選手でも知らない人はいないんだけど、その人がフィクサーだったと知っている人は少ないんです。それはやはり、オヤジがあくまでも根本さんをトップに置いて動かす、という形をとったからでしょう。しかも『じつは自分はその上にいますよ』という素振りも一切、見せない人でしたから」

 根本自身、旧制中学時代から裏で動くことを好む男だったが、幅も同好の士だったということか──。プリンスのホテルマンだった時、幅の目の前で直立不動になった経験もある石毛宏典は西武入団後、根本を「オヤジ」と呼ぶ信奉者となった。その石毛によれば、「幅さんはべらんめえ調の人だったから、そこが根本さんと合ったんじゃないかな」とのこと。そして「あらためて思い出しても、ふたりはよく似ていました」と言う愛甲が続ける。

「根本さんは現役の時はそんなに活躍された方ではないですけど、その後、コーチ、監督になられた時はかなり努力されて、勉強もされたと思います。そのうえで、GMという言葉がまだ使われていなかった頃から、実質的にGMの仕事をしていたこと自体、先見の明ですよね。たぶんそこには、幅さん、オヤジの影響力もあったんじゃないかな、と少しは思います」

(つづく)

(=敬称略)

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