愛甲猛が見た西武黄金期を築いた最強タッグ「完全に任侠映画の世界」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Ysuyuki
  • photo by Sportiva

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「口が堅くて、絶対に口外しない根本さんだから、他球団の選手にも信頼されていたんでしょう。僕の顔を見るといつもニコニコして、ちょっと猫背気味で、下から見上げるようにしゃべるんですよね。『おまえ、元気してんのか?』って。管理部長になってからはよく二軍も視察されたそうですけど、僕がファームの試合に出ていた頃、根本さん、たまに球場にいました。顔を見るとやっぱりニコッとして、含み笑いをするんです。で、『オヤジは元気にしてるか? 連絡してるのか?』って、いつも幅さんのことを気遣っていました」

 4歳年上の根本でさえ、幅のことを「オヤジ」と呼んでいたのも、当時の自分にはできなかった仕事を裏で遂行できる人材だったからに違いない。さらには西武グループ総帥にして球団オーナー、堤義明との関係性もある。堤はプリンスホテル社長でもあったから、根本がオーナーの意向を知りたいとき、立場が格段に近い総支配人の幅は頼りになったことだろう。

 その点、プリンスの監督を務める前から堤と親密な関係にあった石山建一によれば、「最初の頃、根本さんはオーナーの前でビビっていた」という。それだけに堤がどう考えているか見えないとき、根本は石山にいろいろと聞きに来た。そういう意味で石山は堤と根本の間に入っていたのだが、それは幅も同様だった。愛甲はそんな関係性を「ふたりのタッグ」と表現したのだ。

「西武がドラフトで誰を指名するとか、ドラフト外で誰を獲るとか、オヤジが平然と言っていたのは、要はそれだけの権限を堤さんからもらっていたから。新人補強にかかるお金に関しても、ほとんど事後報告だったんじゃないですかね。『おまえに任せているから』と言われていて。だから、堤さんと根本さんの間にオヤジがいた、というのはそのとおりだと思います」

 過去に、堤はプリンスとライオンズの運営についてのインタビューで、自らが社長のプリンスは「直轄」、ライオンズは「球団社長に任せてある」と語っていた。そして、チームづくりに関しては、根本監督が球団社長から全権を任されているのか? と尋ねられると、堤はこう答えた。

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