王貞治の記録達成時も赤裸々に。八重樫幸雄がヤクルト歴代エースを語る (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――ホームイン後は祝福ムードもすごかったし、しばらくの間、なかなか球場の興奮が収まらなかったですよね。

八重樫 僕が今でも悔しいのが、その次の打者が張本(勲)さんだったんだけど、張本さんが打席に入るときに「八重樫、今日はお祭りだな」って言ったんですよ。だから「絶対に抑えてやる」と思っていたのに、初球をあっさりレフト前に運ばれた。あのヒットは今でも悔しいな(笑)。

――そんなエピソードがあったとは(笑)。さて、話をピッチャーに戻します。1970年代のエースは松岡さんでしたが、1980年代と言えば尾花高夫さんでした。暗黒の1980年代、ひとりで先発、中継ぎでも投げ、獅子奮迅の活躍を見せていました。尾花さんはどんなピッチャーでしたか?

八重樫 尾花はとにかく神経質。そして完璧主義者。あいつはストレートが二種類あるんです。普通のストレートと、ちょっと抜いたストレート。スライダーも縦と、横に曲がる二種類。カーブも大きく曲がるのと、小さく曲がる二種類。シュートも横に曲がるのと、ちょっと落ち気味の二種類。さらにフォークもある。これらを組み合わせて、必死に投げていたよね。

――球種としてはストレート、スライダー、カーブ、シュート、フォークの五種類ですが、フォーク以外はそれぞれ2パターンあるから、かなりの組み合わせになりますね。今でいうカットボールとかツーシームといった感じなんでしょうね。

八重樫 そうだね。尾花はアマチュア時代にトップになったことがないんだって。「エース経験がなくて、いつも二番手だった」って本人から聞いたことがあるけど、球種がなくて苦労したから、自分なりにいろいろ研究していろいろなボールを投げ分けていたんだよ。荒木(大輔)もそうだったけど、尾花も気持ちが強いピッチャーだったね。

(第8回につづく)

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