王貞治の記録達成時も赤裸々に。
八重樫幸雄がヤクルト歴代エースを語る

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

【打たれた当事者が語る「王貞治756号の真実」】

――八重樫さんといえば、やっぱり鈴木康二朗さんを忘れてはいけません。

八重樫 鈴木さんの場合は球種も少なかったし、割とラクに受けることができたよ。真っ直ぐとシンカーが中心で、あとはカーブかな。フォークも投げたけど、それは晩年だったから。シンカーが決まるときは、本当にいいピッチングだったね。

――「鈴木・八重樫バッテリー」は、王さんに756号を喫したときのコンビです(笑)。755号を記録して、当時の世界記録756号が出るまでにちょっと時間がかかったんですよね。当初は「夏休み中に達成か?」という状況だったけど、結局は1977(昭和52)年9月3日、後楽園球場での達成となりました。

八重樫 そうそう、「あと一本」になってからが長かったんだよね。だから、最初は「次にうちと対戦するまでには決まっているだろう」と思っていたら、その直前にリーチをかけて、ヤクルトとの対戦で決まりそうになった。この日は第一打席がフォアボールで、球場中が「ウワーッ」って異様な雰囲気になったね(笑)。

――そして、運命の3回裏、第二打席を迎えます。

八重樫 このときもまたフルカウントになったんですよ。それで、また球場中が「ウォーッ」と異様な雰囲気に(笑)。このムードに鈴木さんも圧倒されたのかもしれないね。ヤジもすごかったけど、「そんなもの関係ねぇや」って、ゴロ狙いで投げたシンカーがスーッと甘いところに入って新記録達成......。

王貞治に756号ホームランを許し、首をかしげる鈴木康二朗(左) photo by Kyodo News王貞治に756号ホームランを許し、首をかしげる鈴木康二朗(左) photo by Kyodo News――八重樫さんは「歩かせてもいいや」という考えだったんですか?

八重樫 そう。その前のインサイドへのスライダーでファールになった。鈴木さんのスライダーは曲がりが小さいからカット気味なんです。それで、「決め球はシンカーだな」という考えだったんだけどね。

――新記録達成の瞬間、球場中は騒然としますよね。どんな心境で見ていたんですか?

八重樫 打たれた瞬間はやっぱり悔しいですよ。でも、少しずつ冷静になってきたら、王さんがセカンドを回るときに、ショートの水谷(新太郎)が帽子を取って、「おめでとうございます」って頭を下げたのが見えた。で、「オレはどうしようかな?」って迷ったんだよね。でも、打たれたのに頭を下げるのも変だし、バッテリーが祝福したらイカサマをしたみたいでしょ? だから、王さんがホームベースをきちんと踏むかどうかを確認するふりをしてうやむやにした(笑)。

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