2019.10.14

工藤公康は監督になって痛感。
名将・野村克也は「やっぱりすごい方」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――これもみなさんに伺っている質問ですが、この2年間で全14試合が行なわれ、両チームともに7勝7敗、ともに一度ずつ日本一に輝いています。両者の決着は着いたとみていいのでしょうか?

工藤 難しい質問ですね。でも、「自分たちのチームは強いんだ」という思いがなければ、勝つことはできないと思うんです。「うちが負けたから、ヤクルトが強い」とか、「うちが勝ったから西武が強い」というものではなくて、「自分たちの野球に間違いはない」という思いを持ち続けることが大切だと思うんです。だから、「自分たちは強いんだ」という思いで常に野球を続けていたのは間違いないですね。

――たとえ1993年はスワローズの前に敗れたとしても、自分たちが取り組んできた野球への信頼感は揺らぐことはなかったわけですね。

工藤 そうです。自分たちの野球、それまで取り組んできた野球を信じるという思いはまったく変わらなかったです。

【シリーズを通じて、あらためて「野村野球」のすごさを実感】
 
―― 一方、2年間の激闘を演じたスワローズに対しては、戦ってみて、どんな印象を持つことになりましたか?

工藤 野球において、大事なことは「チームがひとつになって、ひとつのことをいかに徹底できるか」だと思うんです。そういう意味では、まだ1992年の段階ではヤクルトさんもひとつにまとまっていなかったのかもしれない。でも、翌1993年は野村監督のやりたいことが、チームに浸透して、それを選手たちもきちんと理解して、しっかりと形にすることができていたと思います。それが形として現れたのが1993年だったんだと思います。

1993年にシーズンMVPを獲得し、日本シリーズに臨んだ工藤 Sankei Visual――同様のことを森祇晶監督も、伊原春樹コーチも発言されていました。スワローズの選手たちも、「前年の悔しさがあったから、チームがひとつにまとまった」という発言をしていました。ライオンズにとっても、スワローズにとっても、1992年から1993年にかけては、スワローズの成長を実感する2年間だったんですね。

工藤 そうでしょうね。当時は、そこまで冷静に考えられていたわけじゃないけど、今こうして自分が監督になって振り返ってみたら、そういうことだったんだと思います。