2019.10.10

初の日本一直後に不穏な空気。
八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

【「広岡野球」は、強いて言うなら「型にハマった野球」】

当時を振り返る八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi――広岡さんの話題からは逸れてしまいますが、1978(昭和53)年当時、バッテリー・作戦コーチだった森さんについてはどんな印象が残っていますか?

八重樫 当時、大矢(明彦)さんと僕が一軍のキャッチャーだったんだけど、「何で、オレのところばっかり来るのかな?」って思うぐらい、いつも熱心に指導してもらったんだよ。当時はコーチが選手たちのもとに下りてきて話をするということは珍しかったから、うれしい半面、常に気を張ってないといけなかったかな(笑)。

――なるほど(笑)。あらためて広岡さんに話を戻しますが、広岡さんはヤクルトにどんな野球をもたらそうとしたのか? どんなチーム作りを目指したのでしょうか?

八重樫 広岡さんの野球は、ひと言で言えば「型にハマった野球」ですよ。強いチームを作るために必要だという考えだったんだろうけど、それに合わないものは一切許さない。だから、実績を残している選手の中から、反発する選手が出たりしたんだよね。攻守ともに型にハマった野球が理想で、独創性とか、選手が自らオリジナルで作ったものとかはダメ。バッティングについても、構えたらもう動いちゃダメ。そのままの姿勢で打たなくちゃダメだった。

 守っている時も、背筋をピンと伸ばして普通に捕る。決してファインプレーに見せるような捕り方は許さない。いつも、「正面に入って捕りなさい」と言って、基本に忠実なプレーを求めていましたね。

――だからこその、「反復練習の徹底」だったんですね。それにしても、この教えの基になったのは、広岡さんの現役時代の経験からだったのでしょうか?

八重樫 広岡さんは現役引退後に、ゴルフ教室もやっているんですよ。その時の教えが野球にも、ゴルフにも応用できる「新田理論」なんだよね。

――あっ、あの『新田理論』ですか! 小鶴誠らを育て、松竹ロビンスの監督を務めた新田恭一さんが考案したという理論ですよね。野球にも、ゴルフにも通用する理論だと聞いたことがあるんですが、どんな教えなんですか?

八重樫 初優勝した1978年には臨時コーチでヤクルトの指導もした人なんだけど、たとえばバッターだったら、最初に構えを作っておく。「自分で決めたトップの位置を変えずに、そのまま打ちにいく」という指導。でも、僕の場合は投球に合わせて体をひねって、タイミングを取りながらトップを作っていくという打ち方だったから、正直言えば合わなかったね。だって、どこでタイミングを取ればいいのか、全然わからなかったから(笑)。