2019.10.07

愛甲猛がドラフト密約説の真相を告白
「すべてオヤジが裏で動いてた」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

 あたかも他球団に対する"緩衝材"のような中尾のプロ入りだったが、背景には、前年ドラフトの一件も関係していたようだ。

 79年のドラフト前、盛岡工の投手・田鎖博美(たぐさり・ひろみ)が、快速球左腕として東北の高校球界で高評価を得ていた。各球団スカウトが田鎖にプロ入りの意志を確かめると、プリンス入りの意志が固いということで各球団は指名を断念。すると、いざドラフトでは西武が2位指名し、まんまと獲得した。

 同年のドラフト指名人数は4人に限られていたため、どの球団も入団拒否を恐れていた事情もあった。そもそも、まだ"プロ志望届"など存在しない当時だから成立したことだが、"密約説"が取り沙汰され、より一層、疑われる要因になったのは間違いない。そして愛甲によれば、密約を取り仕切っていたのは根本ではなく、幅だったという。

「工藤(公康)の時もそうだったと聞きました。ドラフト前にオヤジが、『今年、うち、工藤いくから』って言っていて、熊谷組ともきちんと話がついていると。その代わりドラフトは下位指名だけど、契約金はドラフト1位と同じ金額を出す、ということまで決まっていたと。表向きは全部、根本さんがやっているように見えていたけど、裏で動いていたのはオヤジだったんです」

 8111月のドラフト会議を前に、社会人野球の熊谷組入りが内定した名古屋電気高(現・愛工大名電高)の工藤は、プロ入りの意向を打診してきた9球団に"指名お断り"の手紙を出していた。

 過去に工藤本人に話を聞いたところでは、プロ入りはまったく考えておらず、熊谷組への入社を決意。ドラフトで西武に6位指名されたあとも意志は変わらず。両親はスカウトが来ても断っていた。

 だが、工藤と父親が出席する交渉に根本が出席した12月28日以降、事態が転じていく。その後、紆余曲折を経て最終的に西武入団が決まったのは、「親父が根本さんを気に入って、コロッといってしまったから」と工藤は明かしたが、本人が知らないところで"大人の話し合い"がなされていた可能性は大いに考えられる。