愛甲猛がドラフト密約説の真相を告白「すべてオヤジが裏で動いてた」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

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根本陸夫外伝~証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実

連載第3回

証言者・愛甲猛(3)

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 19801126日、東京・九段のホテルグランドパレスで第16回ドラフト会議が行なわれた。同年の最大の目玉だった東海大の原辰徳は1位指名で大洋(現・DeNA)、日本ハム、巨人、広島が競合。抽選の結果、巨人が交渉権を獲得した。

 一方、大洋入りを希望していた横浜高の愛甲猛は、ロッテから1位指名。「大洋でなければ社会人のプリンスホテルに行く」と決意していた愛甲だったが、結局、ロッテに入団する。

1980年のドラフトでロッテから1位指名を受け入団した愛甲猛1980年のドラフトでロッテから1位指名を受け入団した愛甲猛 その経緯には、愛甲にとって父親代わりで「オヤジ」と呼んでいたプリンスホテル総支配人、幅敏弘の存在があった。幅は当時、西武監督と管理部長を兼任する根本陸夫を裏で動かし、新生ライオンズの戦力補強に暗躍していた。根本でさえ「オヤジ」と呼んだフィクサーの実像を、愛甲が語る。

「オヤジは最初、僕をプリンスに入れたあとで西武に引っ張るつもりだったみたいですが、ドラフト前になってこう言われました。そこにはプリンスの石毛(宏典)さん、中尾(孝義)さんもいて、『石毛はもう西武の1位指名が決まっちゃってるし、お前と中尾を獲りたくても絶対に2位、3位じゃ残っていない。だから、とりあえず指名された球団に行け。いずれトレードでこっちへ引っ張ってやる。それは根本に言っておく』って」

 幅が根本と密接につながり、西武球団の編成に深く関わっていた事実がうかがえる。しかし、その時の愛甲には「根本さんは西武の監督」という印象しかなく、内情はどうあれ、いつの間にかプリンス入社の話がなくなっていたことが問題だった。では、なぜ立ち消えになったのか──。答えは、ライオンズのドラフト戦略そのもの、と言っていいだろう。

 80年ドラフトは、プリンスホテルの選手が初めて指名されるドラフトだった。同じ西武グループの社会人チームであるプリンスと、プロのライオンズの動向に注目が集まっていた。「西武はプリンスを実質的なファームにして、ドラフト外でトンネル入団させるのではないか」と、他球団が疑惑の目を向けていたからである。

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