2019.10.02

伊東勤は古田敦也を意識せず。
「対野村監督の意識のほうが強かった」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――1990年は巨人をスイープ(4連勝)し、1991年は4勝3敗で広島も撃破。そして迎えた1992年、相手は14年ぶりにセ・リーグを制覇したスワローズでした。スワローズに対しては、どんなイメージを抱いていましたか?

伊東 選手どうこうというよりも、野村(克也)さんのイメージが強かったですね。うちの(森祇晶)監督と野村さんの戦いでもあった気がします。シリーズ前にはもちろんヤクルト対策をするんですけど、正直に言えば、そこまで脅威を感じた記憶はないです。もちろん、「セ・リーグを勝ち抜いてきたチームだ」というのは理解しているけど、「強い」とか「弱い」とか、そういう印象はないんですよ。

――この連載において、ライオンズ・伊原春樹コーチは「ハッキリ言って、ヤクルトをなめていた」と語っていました。伊東さんはいかがでしたか?

伊東 伊原さんが言われるように、油断というか、気の緩みというか、戦前には「そこまでやれるチームではないだろう」という思いはあったと思います。巨人とは違って、ヤクルトというチームに対する意識は低かったと思うし、さっきも言いましたけど、「対選手」というよりは、「対野村監督」という意識のほうが強かったですね。

【プロ入り後、「自分の個性を消そう」と決めた】

当時を振り返る伊東氏 photo by Hasegawa Shoichi―― 一方では、スワローズ・古田敦也選手と伊東さんはキャッチャーとして常に比較され、「森と野村の代理戦争」というフレーズも多かったですが、古田さんに対する意識は強かったのですか?

伊東 いいえ、その点は冷静でした。別に古田と戦うわけではないですから。当時プロ3年目の古田に対して、「眼中にない」とは言わないけど、それほど意識はしていませんでした。あくまでも、「対古田」ではなく、「対ヤクルト」という意識だったと思います。

――野村克也さんは「古田と伊東は性格が全然違う」と話していました。簡単に言えば古田さんは「自分が前面に出るタイプ」で、伊東さんは「投手主体で自分の個性を消すタイプ」ということでしたが、この点についてはどうお考えですか?

伊東 なるほど。たぶん、それは自分が置かれたチーム環境の影響だと思います。西武はずっと勝ち続けていて、勝利を宿命づけられたチームだった。連覇を続けるためにはキャッチャーが前に出るタイプだと難しいと思うんです。でも、ヤクルトのように、何年も低迷していた中で優勝するには、ある程度キャッチャーがぐいぐい引っ張っていかなければならない。その違いだと思いますね。

――それは持って生まれた性格も影響するのでしょうか? 伊東さんはもともと、「自分の個性を消そう」というタイプだったのでしょうか?

伊東 違いましたね。やっぱり、「自分が目立とう」という気持ちは少しぐらいありましたよ。でも、キャッチャーという職業になって、「人の裏を探ろう」とか、「相手のクセを探そう」とばかり考えていたら、表に出ない性格に変わっていきました。それは、自分がこの世界で生きるために必要なことだったからです。自分本位ではなく、チームや投手のことを中心に考えていたら、自然とそうなったという感じです。