西武を救った辻発彦の一瞬の判断。野村克也は「お前のプレーで負けた」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

【西武黄金時代のエースは渡辺久信】

――14年ぶりにリーグ制覇を果たしたスワローズについて、シリーズ前にはどのように見ていましたか?

 相手チームの顔ぶれを見た時に、キャッチャーの古田(敦也)をはじめとして、池山(隆寛)、広沢(克己/現・広澤克実)、飯田(哲也)など、いい選手が揃っている印象でした。シリーズに進出するだけの実力があるチームだと思っていたので、「楽勝だ」なんて思いはまったくなかったですよ。ただ、投手力でいえば「うちのほうが勝っているな」と思っていたかな。

当時を振り返る、現・西武監督の辻氏 photo by Hasegawa Shoichi当時を振り返る、現・西武監督の辻氏 photo by Hasegawa Shoichi――当時のライオンズには、工藤公康、渡辺久信、郭泰源投手もいたし、1992年は石井丈裕投手も大活躍でした。当時のライオンズのエースは誰だったとお考えですか?

 1992年に関しては石井丈だったと思いますよ。あのシーズンは本当にすばらしかったですから。でも、長い目で考えれば渡辺久信がエースだったのかもしれないですね。体が丈夫だったし、何年も年間を通じてローテーションを守っていましたからね。とはいえ、みんながエース級だったのは間違いないですけど。

――さて、具体的な場面について伺います。1992年第7戦、1-1で迎えた7回裏、スワローズの攻撃の場面です。ワンアウト満塁で打席に入ったのは、初戦で代打満塁サヨナラホームランを放っていた杉浦享選手でした。

 ワンアウト満塁で、僕が処理したセカンドゴロの場面ですね。

――はい、そうです。ご自身の著書、『プロ野球 勝つための頭脳プレー』(青春出版社)によると、後に野村監督から、「お前のプレーで負けた」と面と向かって言われたそうですね。

 はい、言われましたね(笑)。あのときは「ここで1点、取られたら負ける」という思いで守っていました。だから、「どこに飛んでこようが、たとえセーフのタイミングであろうが、とにかくホームに投げよう」という意識で守っていました。

――代打・杉浦選手が打席に入ったときには、どんなことを考え、どのような準備をしていたのですか?

 マウンドにいたのは石井丈でしたよね。彼はスライダーが武器で、カット気味のスライダーを投げていました。バッターは左の杉浦さんだったので、「石井丈のスライダーならば、一、二塁間に飛んでくる可能性が高い」と思っていましたね。いや、「ここに飛んでくる」という思いしかなかった気がします。と同時に、「オレのところに飛んできたら、どんな打球であっても、絶対にホームに投げる」と決めていました。

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