平石洋介が振り返りたくない高校時代。松坂の存在がその想いを変えた (4ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Jiji Photo

 平石が当時を振り返る。

「試合が終わってからものすごい拍手でね。自分たちのアルプスに一礼をして、僕らにとって特別な存在やった横浜のアルプスにも頭を下げて......。それでベンチに戻ったんですけど、近づくにつれて拍手が大きくなる。本当に鳴りやまなかった」

 この時、平石は「この人たちにも感謝を伝えたい」と、野球部部長の竹中徳行の許可を得て、ネット裏に向かって選手たちを整列させ、深々と頭を下げた。

「本当はダメだったんでしょうけどね。部長の立場としても『やめておけ』となるんでしょうけど、『いってこい』と言ってくれました。それだけの雰囲気が、あの瞬間にはありましたね」

 球場は激闘の余韻がまだ残っていた。名残を惜しむわけではないだろうが、選手たちがベンチ前に腰を下ろし、土をかき集めていた。これまでPL学園の選手は、負けても甲子園の土を持ち帰ることはほとんどなかった。そのため、平石にはそうした意識がなかったが、意外にもチームメイトは予備のスパイク袋を持参していた。

「あれは井関だったか......あとでわけてくれへん、と」

 平石は申し訳なさそうに、土を集めて仲間の袋に入れた。

 本来なら持ち帰るはずのなかった甲子園の土。それは小学校卒業後に平石を大阪へ送り出し、支えてくれた家族への感謝の気持ちだった。最近は確認することもないが、甲子園の土は大分にある実家のどこかに飾られているはずと、平石は言う。

 高校野球史に残る大激戦で異彩と存在感を放った平石だが、高校時代の自分は「あまり思い出したくない」と語る。

PLに入ったことに後悔はないんです。そこは間違いないんです。キャプテンとしてはそれなりに役割を果たせたと思いますけど、個人としては物足りなさしかないんです。肩を手術して思うように野球ができないもどかしさ、悔しさがありました。甲子園に出てチームが注目されれば『控えのキャプテン』って言われるわけでしょ。ほとんどの人が甲子園での自分しか知らないわけですから、そう思われても仕方ないですけど。やっぱり、個人的にはいろいろ思うところがあって......だからね、本音を言うとあまり振り返りたくないんです」

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