八重樫幸雄は野球少年に伝えたい「オープンスタンスはマネちゃだめ」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――高卒でヤクルトに入った時点ですでにプロ意識を持っていたんですね。

八重樫 そこはほら、商業高校出身だから(笑)。企業であっても、プロスポーツ選手であっても、仕事をしてお金をもらうっていうのは、そういうことだからね。だから僕は、現役時代にグラウンドで笑ったことは一度もないですよ。

――どうして、笑わなかったんですか?

八重樫 だって、グラウンドは笑う場所ではないから。まあ、(1986年にヤクルトに入団した)ギャオス内藤(内藤尚行)なんかは、感情を前に出して周りを盛り上げようというのがあったように思うけどね。

【「初志貫徹」「継続は力なり」に込められた想い】

――それにしても、18歳の入団時から42歳で現役引退するまで、全力プレーをまっとうしたというのは、あらためてすごいことですね。

八重樫 それは、変なこだわりがあって、「目標を決めたら、それを達成するまでやり遂げる」っていうのは昔からずっとそうなんだよね。プロに入ったとき、ふた回り近く年上の兄から、「初志貫徹」って言葉を贈ってもらったんだけど、この言葉はずっと大切にしているから。

――そういえば、八重樫さんの座右の銘は「継続は力なり」ですね。もともと、そういう性格だったのですか?

八重樫 そう。プロ入りしてからずっと「初志貫徹」で、プロでレギュラーになってからは「継続は力なり」をモットーにした。でも、もともとそういう性格だったんだよね。小学校4年生のときだったかな? 新聞配達を見て、「面白そうだな」と思って始めたんだけど、高校2年まで、ずっと続けたんだよ。

――小学生時代に新聞配達をしていたんですか?

八重樫 うん。小学生の時は毎日新聞系列の専売所で毎朝50部から60部くらいだったかな? で、中学に入ってからは地元の河北新報で、毎朝100部以上、多いときで180部くらい。自転車の前と後ろに乗せて配っていたよ。大体午前3時頃に起きて、4時前には販売所に着いて、配り終わるのは1時間後くらい。その後、家に戻って、7時半には学校に行く。雨の日も、雪の日もずっとそんな生活を続けていたね。

――小学生時代に始めて、中学時代も継続して、高2まで続けるなんて、まさに当時から「初志貫徹スピリット」を体現していたんですね。

八重樫 本当は、高校卒業まで続けたかった。でも、野球部の遠征が本格的に始まって、地元を留守にすることが増えるから辞めたんだけど、「辞めます」というのが切なくて。「月に一、二度だけでも」とか、「平日だけでも続けてくれ」と言われたんだけど、一日も休みたくなかったし、中途半端なのは逆に迷惑をかけると思って辞めたんだ。

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