2019.09.09

あぶさんのモデル・永淵洋三は、
元祖二刀流から大酒飲みの首位打者に

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 初めから一貫して穏やかだった表情が若干、険しくなっていた。

「彼はピッチャーとしてもすごく魅力ある。193センチの体から投げられたらバッターはそれだけで打ちづらい。で、そんなにいいもの持ってるのを『ダメだったら』って口で言うのは簡単。だから僕に言わせればね、もうバッターに絞ったほうがいい。お客さんを呼ぶにはいいでしょうけど、大谷自身は大変ですよ、両方は。草野球じゃないんだから。みんな野球でメシ食ってるわけですから」

 草野球──。野球解説者が「二刀流」を語るときに高校野球はよく引き合いに出されたが、草野球は聞いたことがない。人気があった半面、苦労もした経験者にしか言えない言葉だろう。

 野手に転向した永淵さんの年間成績(1968年)は109試合で打率.274、5本塁打、30打点、11盗塁。9月には3番に定着している。

「3番、打ちましたよ。そのとき4番が土井正博でね。この土井がもう、すごかった。体もでかいし、顔もいい顔して、プロらしいバッター。キャプテンもやって、僕に言わせれば超一流。ただ、彼は遊び過ぎたから、僕と一緒で。よう、博打もしとったしね」

 甲高い笑い声が響いた。「僕と一緒で」ということは……。

「毎晩、飲み行きました。だって、契約金たくさんもらったから。明石キャンプでも毎晩、1人で飲んでました。それで一応、門限の10時に帰ると、旅館の前でバッターの人たちがみんなバットスイングしてるんです。僕はその前を毎晩、酔っぱらって通っていた」

 普通、逆では……と思って笑うしかなかったが、永淵さんは新人でも1年目で26歳。同年のチーム全選手49人のうち、7割方が同年代か年下だったから気にならず、先輩たちも何も言わなかった。

「プロだからいいんです。全部、自分の責任ですから。シーズン中も毎晩、行きました。そのへんは、僕にとっては非常によかったですね。いい時代、いい世界でした」