愛甲猛のプロ入り前。プリンス→西武の「トンネル入団」計画があった

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Jiji Photo

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根本陸夫外伝~証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第2回

証言者・愛甲猛(2)

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 チーム強化のために裏技を駆使し、"球界の寝業師"と称された根本陸夫。実質的なGMとして辣腕を振るった一方、親分肌で面倒見がよかったことから、今も根本を信奉する野球人は親しみを込めて「オヤジ」と呼ぶ。

ところが西武時代、じつは根本自身が「オヤジ」と呼ぶ親分的な存在がいたという。裏で動いた根本の、さらにその裏で動いていたプリンスホテルの総支配人、幅敏宏(はば・としひろ)。いったい、どんな人物だったのか----。プロ入り直前から幅が父親代わりで、やはり「オヤジ」と呼んだ愛甲猛(元ロッテほか)に聞いた。

「オヤジはものすごく太っ腹で、任侠映画に出てくるヤクザの親分みたいなタイプの人でした。社員の間では『マムシ』と言われるぐらい、恐れられていたそうです。顔は根本さんに近い雰囲気があって、背は小さくて、声は太くてよく響いて。そんなオヤジにあるとき呼ばれて行ってみたら、僕とドラフトで同期になるプリンスホテルの石毛(宏典)さん、中尾(孝義)さんも来ていました。するとオヤジが石毛さんにポーンと、封筒でお金を渡して、『お前ら、これで遊んで来い』って(笑)」

1980年夏の甲子園で優勝投手となった横浜高校の愛甲猛1980年夏の甲子園で優勝投手となった横浜高校の愛甲猛 幅が接触してきたのは、1980年の9月。同年夏の甲子園優勝投手である愛甲をプリンスホテル硬式野球部にスカウトするためだった。当初は入社に関する言及はなく、同ホテルでの食事に何度も誘われ、宿泊には常にスイートルームを用意され、自宅でも家族同然に可愛がられた。幼い頃から母子家庭に育ち、ほとんど父親を知らない18歳の愛甲にとって、幅と本当の親子のように付き合える時間は貴重だった。そして、その時間が濃密になった頃に「プリンスへ来い」という話が出た。

「まず『支度金はそんなに出せないけど』って言っていましたが、当時、『プリンスは支度金を2000万円ぐらい出してくれる』と噂されていました。それにオヤジの自宅がある鎌倉逗子ハイランド、西武グループの高級住宅地ですが、『そこの一軒を提供してあげるから』と言われて。オヤジとしては、僕をプリンスに入れたあと、そこから西武へ引っ張りたい、という考えだったみたいです」

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