2019.08.16

本人が自負。「巨人V9を支えたのは
柴田、高田、土井、黒江の好走塁」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「おお、そうそう、ずっとオレ1人だったんだよな、3割打ってないのは。それで幸雄がやっと入ってきてくれた。はっはっは。いや、彼は打てるチャンスがあったと思うんだよ。でも、オレは3年間だけ右バッターに転向したり、遠回りしたからね」

 文献資料を見て初めて知ったことだが、柴田さんは68年から右打ちに戻っている。その長打力を生かすため、打順は1番から5番になった。ONの後を打つ5番が不安定、というチーム事情があったなかでの再転向で、同年は自己最多の26本塁打。69年には3番も打つと、7月の阪神戦ではプロ初にして生涯で一度の4番を任され、江夏豊から本塁打を放っている。しかし、同年、翌70年も打撃不振で規定打席に達せず、それが柴田さんにすれば「遠回り」なのだろう。

「まあ、そんなことでオレは3割打てなかったけど、足とか、守備とか、走塁とかで、それはもう打率にしたら2〜3分の貢献はしたと思ってる。足にはスランプがないから、どんなに打つほうで調子悪くても休ませてもらえなかった。それで17年間もレギュラーで、2200試合も出たんだからね」

 そうなのだ。3割がなくても2000安打とは、チームに不可欠な足があったからこそ積み上げられた数字なのだ。その点、柴田さんの足で驚異的なのは、63年、打者として1年目で43盗塁をマークしていることだ。当時、すでに盗塁の技術は身につけていたのだろうか。

「いやいや、技術っていうか、盗塁の技術ってそんなにいらないんだよ。いかに、走ろうという意欲があるかどうか、それだけだからね。意欲のない選手に『走れ』って言ったって、絶対に無理。これは教えることができないものなの。オレの場合、塁に出たらすべて走るって意欲があったと思うし、当時、クイックをやってるピッチャーはごくわずかで、結構、大きなクセのあるピッチャーも多かった。だから、それだけ走れたと思うんだ」

 クセを盗む技術があったというより、今の野球よりも走りやすい状況があって、なおかつ意欲があったから数多く走れた、ということなのだろうか。