本人が自負。「巨人V9を支えたのは柴田、高田、土井、黒江の好走塁」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 2年目の63年、柴田さんはファームでスタート。当初、モーリー・ウイルス(ドジャースで活躍したスイッチヒッター)を目指してショートを守っていたが、手薄になっていた外野に再転向する。徐々に打撃面も向上して一軍昇格を果たすと、5月11日の国鉄(現・ヤクルト)戦、この試合で初めて、1番・センターでスタメン出場。25日からの広島戦ではプロ初本塁打をマークした。

「あのときは長谷川良平さんから打って、翌日、大石清さんからまた打って2試合連続ホームラン。それからレギュラーになれたの。で、初ホームランはまだ慣れてない左打席だったから、確かなきっかけになった。それで自分で自信がついて、これならスイッチでやっていけると思ったから......。でも、オレはもとから流すのはうまくなかった。イチローみたいに、グッと引き付けて、ポーンと逆方向に打てない」

 子どもの頃の記憶でおぼろげながら、左方向への打球も結構あったのではないだろうか。

「うん。なんかね、イメージとしてはバット短く持って流した、というのがあるみたい。でも、あれは振り遅れてたまたま行っただけ。基本的に全部、引っ張りだったから、同じ右ピッチャーでも、真っすぐとかスライダーのピッチャーは案外うまく打ったけど、緩いカーブとかシュートピッチャーは苦手だった。だから、左打席の打率はよくなくて、サード、ショートに転がして内野安打になる率も高くなかったと思うね。高かったら、トータルの打率はもっと上がっただろうし、3割も3回か4回は打ってたかなぁ」

 実のところは引っ張りが基本だったため、足で稼げるヒットは少なかった。打率3割以上なしでの2000安打達成には、そんな背景があったようだ。ここで田中幸雄の2000安打達成について聞いてみる。

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