2019.08.16

バレンティンは「辛抱」と日々格闘。
助っ人史上12人目の記録は近い

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Koike Yoshihiro

 翌年、ケガによって106試合しか出場できなかったが、打率.27231本塁打、81打点の好成績を残した。バレンティンは技術を磨いたというよりも、メンタルの部分で大事なものをつかんだと言う。そしてなにより、日本でプレーすることに大きな喜びを感じるようになった。

「本当に辛抱強くなりました。これまで辛抱することなく過ごしてきたのですが、海外で生き残るためにはそれが必要だとわかりました。野球はもちろんですが、私生活でもそうです。野球なら、日本独特の長い練習に耐えられるかどうか。それにメジャーと違った攻め方に慣れることができるかどうかも大事なことです。もちろん、プロの世界は結果がすべてですが、そこにたどり着くまでの過程で辛抱することが必要だとわかりました。なので、すぐに結果を求めてはいけません」

 その甲斐あって、来日3年目でバレンティンの才能は大きく花開くことになる。

 2013915日、神宮球場での阪神戦で榎田大樹(現・西武)から真ん中のストレートを引っ張り、左中間スタンド中段に突き刺さるホームランを放った。この一発は、1964年に王貞治氏が記録した55本塁打のシーズン最多記録を破り、日本新記録となった。

 このシーズン、バレンティンは60本塁打を放ち、打率もプロになってから初めて3割を超える.330でシーズンを終えた。

 この成績について素直に喜んだバレンティンだったが、こうした成績を毎年残すことが大事であり、まだまだ辛抱強くならなければいけないとバレンティンは言うのだ

 その翌年、夏まで本塁打王争いを繰り広げていたバレンティンだったが、持病のアキレス腱痛が悪化し、登録抹消となった。その後、復帰したが完治せず、9月後半に手術をするためシーズン途中の帰国が決まった。