昭和プロ野球のレジェンド・八重樫幸雄が振り返る「名将の魔術」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【動乱にも動じない三原脩の胆力】

――当時はまだ、八重樫さんは若手選手でしたけど、三原さんのことはどのような目で見ていましたか?

八重樫 僕がよく覚えているのは、ナゴヤ球場での中日戦のこと。ある時、うちのショートを守っていた東条(文博)さんが、走者に足を引っかけられて転んだことがきっかけで、大乱闘になったんだ。それで、険悪なムードのまま試合が終わったんだけど、試合終了と同時に、観客たちがグラウンドになだれ込んで大騒ぎになったんだよね。

 多くの中日ファンは三塁側のヤクルトベンチに向かってきて、僕たちは大慌てでベンチ裏に避難したんだけど、三原さんはベンチに座って腕を組んだまま微動だにしない。コーチや、選手に対して、「早く避難しなさい」と自ら指示をしていたのに、当の本人はまったく逃げようとしないんだから。

――それで、三原さんは大丈夫だったんですか?

八重樫 大丈夫だったんだよ。三原さんは黙って座っているんだけど、中日ファンは近づいていけないんだ。ただ、遠巻きに三原さんを見ているだけで、一歩を踏み出すことができない。そのときに、「この監督は肝が据わっているな」と思ったし、「ハートが強い人だな」と感じたことは、今でもよく覚えているな。

――三原さんがアトムズ時代に出版した著書『勝つ 戦いにおける"ツキ"と"ヨミ"の研究』(サンケイ新聞出版局)を読むと、三原さん自身は「わたしは魔術師でもなければ、手品で勝負に勝ったわけではない」と言い、「三原魔術という言い方は好きではない」と明言しています。八重樫さんは「三原マジック」というフレーズについて、どんな印象を持っていますか?

八重樫 三原さんがどう思っていたかはわからないけど、「これが三原マジックなのか」と感じた試合はいくつかあったよ。たとえば、大塚(徹)さんって選手がいたんだけど、この人は現役通算で4度もサヨナラ押し出し四球を選んで日本記録を持っているんだよね。そのうちの1回が三原監督の時のものなんだけど、大塚さんはバッティングが得意ではなかったので、打席に入るときに三原監督から「一球も振るな」と声をかけられて、そのまま押し出しでサヨナラ勝ち。あとでその顛末を知ったときには、「さすが三原さんだ」と思ったね。

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